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Q.なぜバンクーバーに出店したのですか? | 楽コーポレーション

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Q.なぜバンクーバーに出店したのですか?

 

当時、若者達に「地方は面白いぞ」て言ってた頃なんだけど、
地方なら物件も安いし、何よりも子供をゆったりと育てる空間が持てる。
住宅の家賃だって、東京だと15万、20万する広さのものが、地方なら繁華街から10分も行けば5万、6万で借りられるわけだよ。

丁度その頃、地方に出店してそんなゆったりとした生活を送る人達もボチボチと出だした頃だったんだよ。

それで若者達に地方出店を勧めると「僕には田舎がないから」とか、「田舎は受け入れてくれないんじゃないか」とかっていう反応で、
だったらまずは僕が全然知らない街でやって見せようと思ったのがきっかけだね。

函館、小樽、仙台、いろいろと候補はあったんだけど、そんな時にバンクーバーにちょっと行く用があって、ここも面白いなあって思ったんだ。
英語も喋れない、知り合いも全然いない、ましてその頃は北米には居酒屋が一軒もない時代。
ここでうまく行けば若者達にも説得力があるだろうってね。

寿司屋さんとか天ぷら屋さんとかはあったけど、ホントに居酒屋さんは一軒もなかったんだよ。
お寿司屋さんが焼き鳥やったり、餃子やったりとかはあったけどね😷

出店が決まってお店が出来るまで、お寿司屋さんによく行ってたんだけど、
「何やるの?」て聞かれて「居酒屋」って言うと「え〜居酒屋?」ってよく言われたよwww😩
前例がないからダメだろうって事だと思うけど、
結局、そう言ってた人達がみ〜んなお客さんになってくれたんだけどね😋

※1992年(平成4年 )カナダ・バンクーバーに「くいものや楽」オープン

最初は日本人社会に口コミで広がって、その後地元の人達もたくさん来てもらえる様になって行った。

メニューはおでんや、手羽先、塩辛、チャーハンみたいな、いわゆる居酒屋さん的なものばっかり。
それで通用するかなっと思ったけど大通用したねwww😀

英語も喋れないから、唐揚げ見せて美味しいよ!とか、トゥーとかスリーとか言って、お会計は紙に書いて渡したりしてたね。
営業スタイルは日本でやってるのと全く同じで、楽しませて喜んでもらって・・・
正直、出来るかなぁ?とは思ったけど志があれば出来るもんだよね😀

それから居酒屋ってのが、バンクーバーにも根付いて行った感じだね。

海外出店に関しては、もちろん文化も習慣も法律も違うわけだから、色んなことが日本と同じ様にはいかないんだけど、弁護士費用は覚悟しないといけないよ。
なんでもクレーム、弁護士、裁判だから。
精神的なタフさも必要だね。

最終的には3店舗やって、子供達が大きくなって日本で商売をしたいってことで、お店は全て譲渡したんだけどね。

あと、バンクーバーでやったのは子供達の教育の面もあったよ。

ウチのカミさんの持論では「料理が出来て、英語が喋れて、ギターが弾ければ世界中どこでも生きていける!」ってことらしいんだよ😀
それも少しはあってバンクーバーってのはあったよね。

もう一つ、これはどこでも同じだけど、商売をやっていく上では奥さんの理解、協力、信頼は重要だよ!

何が起こっても大丈夫って気持ちで頑張れるのは、やっぱり奥さんの理解があるからだよね〜

最初バンクーバに移り住んだ時に、まだカナダでの納税履歴がないから子供達が一年間は公立の学校に入れなかったんだよ。
普通の奥さんだったら「一年も!」ってなるじゃない?ウチの場合は「一年くらい大した事ないじゃない!」って言われた時は、
このカミさんに一生ついて行こうって思ったよねwww😀

特に飲食は奥さんの理解が必要だから、仲良くしてね〜!💑

※動画はバンクーバーの自宅にて「Mirai & Papa」